愛の定義


愛、これほど親しみやすくこれほど難しい概念がほかにあるだろうか。
愛によろこび、愛にかなしむ。人はそういういきもの。

愛についていままで悩んできたなかで、自分なりの答えにたどりついた。とはいえ、人生は学びつづけるものだと考えているので、まだまだ途上だともいえるけれど、これまで愛について思索してきた成果をここに開陳する。

愛の三つの定義。
愛は、もとめないこと。 もとめない、それで自存していられる。
愛は、おそれないこと。 おそれない、それで不安はなくなる。
愛は、おもいやること。 おもいやる、それで心はみたされる。

三つの定義のうちどれか一つでもはずれしまったら、それは愛ではなくエゴに変じてしまう。愛とは似て非なるエゴに陥ったとき、人と人の関係はうまくいかなくなる。

相手になにかをもとめることは愛ではなく、相手を自分の思うとおりにしたいエゴによる。
相手をうしなうことをおそれるのは愛ではなく、相手を自分のものだと思うエゴによる。
以上をふまえたうえで、もとめることなく、おそれることなく、相手をおもいやることができたら、それこそがほんとうの愛だといえる。




これら愛の定義がまちがいないものであるかどうか確かめたい、エゴではなくほんものの愛に生きたいと、心から思ったのはいまから一年以上まえのこと。これから自分がだれかを好きになったら、愛の定義を心がけて交流しようと決めた。

おそらく、だれかと恋人になりたいという以上に、ほんものの愛を知りたいという、形而上学的な理由のほうが強かったのかもしれない。なぜなら、人はいつか死んでしまうが魂は永遠に向上しつづけるという観念を私はいだいているから。だが、ほんとうのところ、人は死んだあとどうなるかなんてわからない。そのため自分の死後にいったいなにがあるのかたのしみでさえある。




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